筋肉研究の魅力



1. 学際研究分野


筋肉は医学分野では生物の重要な器官として,工学分野では柔軟なアクチュエーターとして,農学分野では食品として魅力ある研究対象であり,このような様々な分野の研究者がそれぞれの知識を活かして,その仕組みの解明や応用を研究しています.そして,生命という有機体の活動や駆動を可能にする根元的な原理がそこに隠されている可能性があり,物理的な方面からの研究も進んでいます.



2. 多機能な分子機械


筋肉の収縮を可能にする最も小さな単位はアクチンおよびミオシンと呼ばれるタンパク質です.タンパク質は細胞中に数万種類存在し,それぞれが特有な機能をもって細胞活動を支えています.特に化学反応を促進する機能をもつタンパク質は酵素と呼ばれます.酵素は,我々が人工的に利用する触媒に比べて,数十倍以上の触媒作用を持ちます.そのため,酵素の触媒作用のメカニズムの解明は,今後我々に新規の合成方法をもたらすかもしれません.ミオシンはアデノシン3リン酸を加水分解する酵素として働きます.さらに,アクチンもミオシンもそれぞれ自己集合して規則的な構造をもつ繊維を形成します.このような作用を自己組織化と呼びますが,この仕組みを知ることは,混ぜるだけで秩序をもった規則正しい構造物となるような夢の材料の開発に繋がります.さらに筋肉のタンパク質には,運動するという一般的な酵素にはない特徴を持ちます.この運動の素過程は,ナノメートルのスケールで発生し,そのような素過程の動作が集まることで,秩序をもった一方向の運動を引き起こします.このように筋肉のタンパク質は,酵素機能をもち,構造形成機能をもち,さらに運動機能をもつスーパータンパク質です.そしてこのような複数の機能はそれぞれ別々に働くのではなく,巧みに連動しながら実現します.そのためその機構は複雑であり,未だに本質的な解明に至っていません.



3. 高効率なエネルギー変換分子機械


アクチンとミオシンはアデノシン3リン酸の加水分解のときに生じるエネルギーを利用して一方向性の運動すなわち力学仕事を発生させます.このアデノシン3リン酸の加水分解という化学反応のエネルギーを力学仕事に変換する効率は,筋肉中において最大で80%であると言われています.我々の日常でみられる内燃機関の効率はよくて30%であり,筋肉はその効率を大きく上回ります.その理由のひとつは,エネルギーの変換の仕方にあると考えられます.例えば内燃機関の場合は,ガソリンという化学物質を酸化させるという化学反応を発生させます.その結果,その反応熱で温度差を作り,それを利用してピストンを動かすような仕事に変換します.問題は熱エネルギーです.エネルギーは保存されていて全体としては増えたり減ったりしません.熱エネルギーは一番利用価値の低いエネルギーであり,最終的にエネルギーの行き着く状態であるといえます.内燃機関はそのようなエネルギーを何とか利用する方法なので,効率が上がらないのです.それに対してタンパク質に見られる分子機械は,化学反応を介して目的の仕事に変換した後に,無駄なエネルギーが熱として排出されます.このエネルギー変換の過程の違いがタンパク質分子機械の特徴であると考えています.
最近の研究では,ひとつのミオシン分子の働きでみれば,100%の効率である可能性が出てきました.マクロな系を扱う熱力学によれば,エネルギー変換のときには必ず損失があり,100%の効率はないとされます.ミオシン分子が100%の効率でエネルギー変換するとなれば,今までの熱力学の常識に抵触します.このことはこの分野の研究が,非常に新しい原理の発見に繋がることを示しています.熱力学はたくさんの分子が集まって実現される状態量を扱って展開される学問です.現在では,高度な顕微鏡による検出技術の発達により,ひとつの分子の動きを計測することができるようになり,次々に新しい現象が発見されています.今までは集団としてしか検出できず見えなかったものが,個々の分子の運動から理解することが可能になり,そこから新しい理論の進展が期待されます.



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